不会表达自我的日本人:是谦虚的错?

沪江日语 沪江日语 2018-08-20

“謙虚”という言葉の意味を調べると、「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること」という意味だとわかる。実るほど頭が下がる稲穂かな、大賢は愚なるが如し、敢えて天下の先とならずなど、日本には昔から謙虚、謙遜を美徳とするようなことわざが多い。

查了一下“谦虚”这个词的意思才知道,谦虚是指“不认为自己很伟大,坦率、虚心地向他人求教的态度”。就像是果实饱满的稻穗会低下头,大智若愚,故意不走在天下的最前方等。在日本,很早之前就有很多表达谦虚、谦逊这一美好品德的谚语,代代传颂。


しかし、海外生活をしていると、これら「謙遜の美徳」は日本以外の場所ではあまり通用しないことがわかる。謙遜してつつましく控えめに出てしまうと、欧米人とのコミュニケーションがうまくいかなくなってしまうことのほうが多い。自分の意見を論理的に伝え合うことを目的とした欧米型コミュニケーションでは、控えめ=意見がない人とジャッジされてしまうことになりかねないからだ。よく日本人は、「シャイで何を考えているかよくわからない」と外国人に言われるが、これは日本人の「謙遜を良しとする価値観」に起因する部分が大きいように思う。

但是,开始了海外生活之后才发现,这些“谦逊的美德”在日本以外的地方不怎么通用。当你表现得谦逊、恭谨、克制就会发现,很多情况下,这样根本没办法和欧美人顺利地交流。在以将自己的意见有逻辑性地阐述出来相互交换意见为目的的欧美型沟通交流中,克制=没主见,很容易让人产生这样的判断。日本人常常被外国人说“很害羞,常常不知道他们在想些什么”,我认为日本人“谦逊是美德的价值观”占据了很大一部分原因。


そして、私たちが謙遜や素直さを意識すると、言葉の言い回しがどうしても遠回しな言い方になってしまう。「こうしたほうがいいと言う人もいますよ…」、「それはそうですが、でも…」、「うーーん、でもね…」

于是,我们越是意识到要谦逊和直率,语言上的措词变得更加兜圈子。“虽然也有人说这样会更好…”、“话虽如此,但是…”、“恩,但是啊…”


こんな言い回しじゃ、外国人には伝わらない。「…」の部分を日本人のように読み取ってくれると期待してはダメだ。相手からすると、「結局この人は何が言いたいんだよ?」とイライラされてしまう。

这样的措词,是没有办法传达给外国人的。期待他们像日本人一样读取句子中“…”的部分是万万不可的。从对方的角度来看,只会觉得“这个人到底想说什么啊?”而渐渐抓狂。


英語やフランス語圏の人のコミュニケーション方法に比べると、日本人同士のコミュニケーションは非常に曖昧だ。互いが互いの気持ちを察することを前提とした会話だから、はっきりと自分の考えを主張することは避け、ふわっとした言葉で巧みに本心を包み込んだ主張を伝える。直接的な欧米人から見ると、日本人は「ニュアンスだけで会話している」ように感じるかもしれない。

与英语、法语圈人们之间的交流方式相比,日本人之间的交流相当暧昧。由于是在体察对方心情的前提下建立的会话,所以会避免清清楚楚地传达自己的主张,而用不痛不痒的语言巧妙地包裹住自己的内心,从而传达出自己的想法。从性格直接的欧美人看来,可能觉得日本人只会进行些“微妙的对话”。


「空気を読もう」という前提があるから、はっきりとした主張をしなくて済む。しかし、欧米人との会話で同じようにしてしまったら、これがうまくいかない。こちらがいくら考えを伝えているつもりでも、相手がくみ取ってくれないことが多々あるのだ。

由于有一个“体察氛围”的前提,所以不用清清楚楚表达自己的主张也能完成交流。但是,如果和欧美人对话也这样的话,肯定不会顺利进行。无论我们多么想传达自己的想法,对方常常无法读取。


「私はこうしたい、なぜなら~だから」、「~だから、私はそうは思わない」、「私はこれができるから、こうしたい」

“我想这么做,要说为什么呢,那是因为…”、“所以,我并不这么认为”、“我能够做到,所以想这么做。”


これくらいの直接的な表現で自己主張しないと、相手に理解してもらえないことが多い。

如果不用这种程度直接来表现自己的主张,多数情况下无法令对方理解呢。


「自己主張」というと、自己中と混同してマイナスなイメージをもつ人も多いが、これもまた日本人的な価値観である。自己主張とは、「人間が社会において、自己の意見や考えや欲求などを他人に伝える」という意味であり、決して悪いことではないのだ。

说到“自我主张”,很多人心中都混杂了一些负面情绪,这也是具有日本人特质的价值观。所谓“自我主张”是指“人类在社会上生存,需要将自己的意见、思想、欲求等向他人传达”,绝对不是什么坏事情。


欧米人にとっては会話の中で自己主張することがスタンダードであり、逆に論理的にうまく自己主張できない人は意見がない人だと判断され、無能で幼稚だと思われてしまう可能性すらある。何を聞いても、ふわふわした何が言いたいのかよくわからないことを返されてしまっては、外国人のほうもこのままでは埒が明かないと思い、自分主導で話をすすめようとする。すると、日本人の本音と外国人がすすめる話にずれが生じ、日本人側は「一方的に話をすすめられて、こちらの話をちっとも聞いてくれない」と不満を抱くようになるが、この責任は日本人側にもあると思ったほうがいい。

在欧美人看来,会话中的自我主张才是标准,相反,无法逻辑性地表达自己主张的人会被判断为没有意见的人,甚至还有可能被认为是无能、幼稚的人。无论询问什么,都是不痛不痒的不知道在说些什么,外国人也会觉得这样的情况应该是没有跨越思维的界限,只能继续推进自己主张的意见。于是,当日本人的真正想法和外国人推进的主张有所偏离,日本人会抱怨说:“外国人擅自推进自己的意见,都不停我们的意见”,可以说,主要责任其实在日本人方面。


大切なのは、相手と同じ量の意見を自分のほうからも言っていくことだ。会話の邪魔になってしまう謙虚さはいったん忘れたほうがいい。

重要的是,将自己同等分量的意见通过自己的语言说出来。会对会话产生干扰的那份谦逊也暂时统统忘掉吧。


そして、曖昧な表現ではなく、しっかりとした自己主張をするために必要なのは、「自分を高く売ろう」という意識ではないかと筆者は経験上、思う。

然后,为了使表达不再暧昧,能够彻底地表达清楚自己的主张所必要的是“将自己身价抬高”的意识。这是笔者的经验之谈。


言葉が母国語でないからこそ、大きく出る。発音に日本人特有の訛りがあるからこそ、自信のある人に見せることが大切だ。言葉がネイティブのようには話せないというハンディキャップを、「それでも一生懸命に話す人」というプラスの要素に印象づけることが大切なのではないだろうか。

正因为所说的语言不是母语,才更要理直气壮。正因为日本人的发音有着特殊的口音,将自己的这份自信展现在别人面前才非常重要。如果语言不积极说出口便会变成不利条件。给人塑造一种“这是一个即便如此也十分努力的人”的加分印象不也十分重要吗?


出来ないから…と委縮して、小さくなっていれば、周りの人も小さな人間だとジャッジする。しかし、自分が実際に思っているよりも「もっとできる人」として演じていれば、相手も自分のことを高く買ってくれるのではないだろうか。

因为做不到而畏畏缩缩,自己的存在感越来越小,然后同周围同样的“小”人作比较。但是,自己只要演绎一个比自己想象中“更能干”的角色就可以了,对方也会将自己高价买走吧。


欧米人と会話をする時は、「実際よりも高く売る」を意識していると、自分の意見や考えも「謙虚さという鎧」をつけることなく、ストレートに主張できるようになると思う。

我认为和欧美人会话的时候,拥有“身价比实际高”的意识的话,也不用给自己的意见、思想穿上“名为谦虚的铠甲”,便能够直接地表达自己的主张。


自分を高く売ってはじめて、主張ができる。

以抬高自己身价为起点,能够表达自己的主张。


主張ができてはじめて、自分の話を聞いてもらえるようになる。

又以能够表达自己的主张为起点,别人也能够听进去自己的意见了。


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